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北上市二子町には、伝統ある大乗神楽が伝承されているが、西地区(和小路)にも独自の芸能をと青年有志が集い、平成2年に発足。団体名は、中世の豪族和賀氏の飛勢城から取り、飛勢太鼓と命名。
「飛勢太鼓」「祝い」「祭り」「古城の響き―雨―」「黎 明(夜明け)」「篝火」「カムイワッカ」 などの演目があり、和賀氏の繁栄、無念の落城の思い、そして豊かな気候風土などをモチーフに、感じたるまま、思うまま、全て自分たちで創作し表現している。名のとおり飛び勢いのある演舞で、また演目によって様々なパフォーマンスを行い観客を魅了することで人気がある団体。
大正元年より滑田鬼剣舞から秘伝書を伝授され創立。平成22年には、100周年記念式典を執り行い、150年以上の歴史ある団体。
滑田系鬼剣舞のため、三人加護や狐剣舞など神楽拍子で舞うのが特徴。
現在では、幼児から熟練者まで鬼剣舞への愛をもったメンバーが日々伝承活動に励んでおり、さくらまつり芸能公演初日ということで、期間中の芸能公演の成功と観客皆様のご多幸とご健勝を祈り演舞する。
山根山伏神楽は、山形県羽黒町から横川目に伝承され、その後昭和23年に相去町の本郷地区に伝えられた本郷権現舞から山根地区に伝承されたと言われている。地域の火防祭には集落一体を巡り門付けを行っていたが、コロナ禍の影響を受け活動を一時休止し廃絶の危機に直面したが、地区の有志や自治協議会の支援のもと、2024年活動を再開し、祭りや神社の例大祭などの公演を通し地区の活性化活動を続けている。頭には耳がなく「蛇頭」と呼ばれ、幕には青海波の模様で「鱗」を表現し、その姿は龍神を現したものと言われている。
大正7年(1918)南笹間鬼剣舞より伝授され、その5年後の大正12年9月29日に改めて岩崎鬼剣舞より伝授された。二次大戦まで消長があり、昭和22年婦人連中により復活上演された際は好評を博した。昭和51年改めて岩崎鬼剣舞の指導を受け、体制を整え、平成7年に新供養碑を建立。その後も長く中断したが、近年は復活し積極的に活動を行い、各まつりへの出演のほか、鎮守稲葉神社や三峯神社の例祭での奉納、供養碑へ回向を手向けている。
北上市江釣子の北西部・日平地区のさんさ踊りは、旧南部領内に普及した盆踊「さんさ踊り」を基本としながらも、曲を変え歌詞に風土性を持たせて、酒盛りの騒ぎ唄に変えた芸能。発祥は明らかではないが、百数十年前の資産家が多くの作男を使っており、仕事の区切りをつけ作業から解放される休日や大雨等で仕事ができない日に酒を飲み交わして解放感を味わった光景を表した踊り。時代の変遷と生活環境の変化で自然消滅したが、平成3年地区の活動で復活。ただ、唄は知っていても踊りを知っている者がなく、新しく振り付けを行い現在に至る。
1890年(明治23年)頃に南下幅村(現在の奥州市胆沢区)から指導を受け発足したが、戦中・戦後一時中断し、昭和38年、岩崎鬼剣舞の再指導を受けて復活した。かつては伊達藩領に位置していたが、南部藩領の岩崎鬼剣舞の流派に属している珍しい団体。現在は保存会と育成団体のジュニアクラブの2つで、毎週の練習を欠かさず行っている。北上市指定無形文化財
北上市飯豊の成田地区に伝承される神楽で、文政年間(1818~30年)岳神楽の流れをくむ石鳥谷八幡神楽の教えを受け、創始200年を超える。式舞を中心に十数演目を伝承している。岳神楽の舞の形を継承しつつ三陸地方の神楽に見られる道具立て、北上地方の大乗神楽の権現頭を使用するなど、さまざまな影響を受け現在の形態となる。現在は成田地区の若手十数人で活動し、毎年二月の火防祭では北上、花巻両市の成田地区で門付けを行い、さらには花巻市の薬師神社や地元の稲荷神社・八幡神社・愛宕神社でも奉納している。
岩崎鬼剣舞の踊り手が、昭和初期に岩崎新田地区にに婿入りしたことを機に、岩崎新田地区に踊り組を組織。一時活動を中断したが、昭和59年に岩崎鬼剣舞に指導を請い、同年9月の祭礼にて岩崎新田鬼剣舞として復活しその後保存会を組織し現在に至る。
北上市二子町宿の宿大乗神楽は、明治30年、村崎野妙法院から二子八幡の妙泉院に伝承され、その後一時中断したが、20年ぶりに昭和52年に復活し現在に至る。大乗神楽は和賀山伏神楽と称されるように、和賀郡内に伝承された山伏神楽で、花巻の一団体を除いて全て北上市内に伝承されており、早池峰神楽が神道色の強い「動」の神楽とすれば、大乗神楽はゆるやかな所作で仏の教えを伝えようとする「静」の神楽といえる。令和8年2月には、伝承125周年記念公演を実施。
岩崎鬼剣舞から滑田に秘伝書が伝授されたのが明治34(1901)年。その後飯豊・谷地・村崎野・二子などの弟子剣舞を育て、普及・伝承に貢献する。装束や演目は岩崎鬼剣舞とほぼ同じだが、滑田鬼剣舞には独自の「狐剣舞」がある。狐面をつける一人舞で、急病で踊り手が一人欠けた際、稲荷大明神の化身の狐が代わって補い、無事に奉納を終えたという伝説がある。神秘的な妖気をはらみ、扇の舞・太刀の舞をした後、急テンポとなり、素手の舞から激しい跳躍となって終わる。足に独特な所作があり、神楽拍子で踊られる。
平成13年に新たな芸能として太鼓団体を創設。室町後期に鬼柳地区を治めた和賀一族の鬼柳氏が寛永18年に創設した鹿島神社にちなみ、「鬼柳鹿島太鼓」と名付ける。創設当時は、道具を揃えることさえ苦労したが、現在は、地元をはじめ多くの方々に支えられ、様々な行事やまつりに多く出演し勢力的に活動している。最近は、小・中学生の加入や親子での参加などで会員が増え、人手不足でしばらく演奏できなかった曲も演奏できるようになり、楽しく活動している。
昭和33年頃、のちに庭元になる昆野高校生が岩﨑鬼剣舞にて稽古を受け、昭和43年に北上農高同窓生を中心で鬼剣舞出演したのが始まり。その後、昭和61年に岩崎鬼剣舞から相伝され、昭和63年に鬼剣舞供養碑建立と発創20周年記念式典を行う。鬼剣舞供養碑の回向のほか、浅間神社例祭や盆・祭礼等で回向や門付け行う。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災・・・、あれから15年が経ち、生活インフラの復旧は完了したが、今もなお、多くの方々の心の傷はまだ癒されていないのも実情である。同郷である私たちは、ずっと皆さまに寄り添う心を持ち続けたいと思っております。
展勝地で待ち望んだ春を味わう皆さまとともに、鬼剣舞により、追悼と復興に対する祈りを捧げ、1日も早く穏やかな日が訪れることを願います。
①式辞
②念仏回向
③焼香
震災により亡くなられた人々に対する慰霊と被災地への復興祈願の気持ちを込め、剣舞作法による供養式と祈りの舞を行います。
①一番庭
②刀剣舞の狂い
出演団体:岩崎鬼剣舞、鬼柳鬼剣舞、御免町鬼剣舞、黒澤尻鬼剣舞、黒岩鬼剣舞、二子鬼剣舞
